風 詩などの置き場

詩や短歌を置いている場所です。今のところは過去のものが多いです。

『風』前橋ポエトリーフェスティバル2024

光だけ踏んだら勝ちと風渡る 子どもらいない朝のこもれび

 

前橋ポエトリーフェス2024に出した短歌です。今回は写真を提出しなかったので、どんな写真と一緒になるか楽しみでした。新井隆人さんが素敵な写真を撮ってくださいました。風が遊んでる感じが出ている…!

 

気づき

 昔は、相手のほんとうの気持ちを知りたい思いがどちらかというと強かったけど、最近はパートナーや友達が気を遣ってくれること、それでいいよと言ってくれることを、《相手の、私を大切にしたい気持ち》として素直に受けることができるようになってきた。大人になってきた。

 その気遣いがほんとうの気持ちじゃないとしても、『大切にしたいから気を遣った結果の言動』は、紛れもなく心から出た思いやりだということに気づいた。もしそれがちょっと無理した行動かもしれないと感じたら、断るより、別の、わたしが楽な手段でわたしも相手に何かをシェアすることをしてみたほうがスムーズだと思う。

生活をつくる

 文章を書く、歌を歌う、踊る…と同じように、いい距離感で穏やかな関係を長く続けたい人と日々さりげないコミュニケーションを取ることも、創造的な行為なんだと思う。

 昔から書く事は好きだけど、それが書く事自体以外の承認欲求と結びつく現象を見ていると、創造をもっと広い視野で捉えたくなる。たとえば作品を受け取って感じたり言葉にすることだって(それが研究だろうと、身近な人と感想を話し合うことだろうと)、日々のなかにあるささやかな創造なんだと思う。

 自分にとって心地よい生き方を、一生かけて実験しながら探っていくことも、ぜんぶ創造だと思う。

 

詩を生活の時間の外のひとつの客観的な価値の如くに考えてはならぬ。人生は日々のものである。そして人生が日々のものである限り、詩もまた、日々のものである。日々使い捨てられることによってのみ、詩は自らを完成しえる。/谷川俊太郎「世界へ!」

 

 

信頼を積み上げる

 信頼を回復するというのは(私の場合)、相手に何かすることじゃなくて、相手の言葉やしていることを見守り、自分の人生を生きながら相手を信じることだったな…
 お互いが相手を信じる強さを持ち続けるには、相手に行動で示し続けるしかないのだと思う。それは相手に積極的になにか働きかける行動だけではなくて。

共感したソール・ライター展、共感しなかった庵野秀明

 

  このツイートは、3/22に放送していた庵野秀明のプロフェッショナル仕事の流儀が、あまりにも見るのがつらいもので、衝撃を受けたので、混乱して書いたもの。

 

 

 

 

瞬間的な実感が沁みこんだ歌

生活のなかで